すずきじゅんじ ブログ(はてな・はてなブックマーク)

すずきじゅんじ Junji Suzuki の個人ブログ(はてな、はてブ用)

自分のしていることを説明する、こともたまには必要か?(更新2023年2月8日)

私(すずきじゅんじ)は、とくに政治的な人間ではないし、特定の支持政党(党派性?)もありません。
いわゆる、「左」でもないし、「右」でもありません。

いわゆる「公費税金」からお金や仕事、補助金などをもらったりしていません。
(むかし、財団経由で「すずきさんの社会奉仕活動に対してお金を出したい」と言って頂いた経験はありますが、お断りして辞退したことはあります。)
どこからも、政治的なお金やNPO的な活動の補助金助成金なども受け取ったことがありません。

 

インターネットの俗語で「嫌儲(けんもう)」という言葉がありますが、
私は、儲けることは普通は良いことだろうと思っています。
価値を生み出し、ひとにほめられたり、よろこばれたりするものを作る。
ずるいことをしないで、儲ける」ことがだいじだと思っています。

 

私は、この「はてなブログ」や「はてなブックマーク、コメント」で
これまで二つの話題について、こだわりを持ち、繰り返し言及することがありました。


公衆衛生について

個人情報について

 

ずるいことをしているほうが威張っている、えらそうである。
そういう現状をすこしでも変えたい、
社会をゆがめないために。
逆側の意見をあげて、適切な世の中のバランスをとっていきたい、
そんなふうに考えています。

 

ネット上では、「反○○」という言葉を簡単につかう人もいますが、
わたしはそれは丁寧ではない雑で怠惰な物言いだと思います。

それでもあえてその言い方にあてはめてみると、私は
「反・ずるいことをして威張っている者」
とはいえるかもしれません。

 

生きるということは「清濁併せ呑む」こと、とも言えると思います。

人生のなかで、お金をかせぐ「仕事」をするなかで、
「ちょっとこれはずるいな」と自分自身で思いながらも、それをしなくてはならない状況があると思います。
私はそういうことをことさら責めたり、批判したりはしません。

それぞれの当事者が、ひとりの人間としてその場その場で自分自身で決めて行動すればよい、
そう思います。

前述の二つのテーマについて、なぜこだわるのか?

それは、巨大な「弱い者いじめ」だからです。

反撃、反論できない「こども」「(それについて知識のない)弱者」に対する一方的な見過ごせない「ずる」「だます」、暴力だと思うからです。
その暴力の目的が「金儲け」であり、普段から「おれは頭がいい、優秀な人間なんだ」
と自慢したり威張っているひとびとによる、デタラメな説明を用いた詐欺や暴力。

例えば もし、あなたが、どうしても仕方がない状況に陥って、どこかの家に「強盗」に入らなければならなくなったとします。
どうしてもお金が必要だったとして、じゃあ、その家のなかに子供や赤ちゃんがいたら、その子たちに対して攻撃を加えますか?

例えば もし、どうしても仕方がない状況に陥って、戦争が起きたとします。
もし、なにもわるいことをしていない、反撃も防御もできない子供や赤ちゃんしか住んでいない村にバクダンを落としてこいと命令されたとしたら、あなたは、どうしますか?


「お金はだれしもほしい。だけど、いくらなんでもそこまでひどいこと、非道なことは、やめておこうよな」
という社会的合意、世の中の共通認識は、どうしてもゆずれない、線をこえてはいけないだいじなモノ = 「倫理」 「秩序」
ではないでしょうか?
こどもや女性が町をひとりで歩けるためにも。
夜、家の中で安心して寝ることができるためにも。


私は、どんなに自分個人が損をしても、この二つについては話し続けようと思います。
自分の心の底の声をなんどたしかめてみても、
「これはじぶんが言わなきゃいけないこと」
「言えるひと(自分)が言えるとき(今)に言わなくてはいけないこと」
だと思えるのです。

 

すこしでも今後、同様なおかしなことが抑制されたり、
これらの「おかしな行為」の当事者や当事者企業の内部にいる者や、利害関係当事者(ステークホルダ)の「良心派」「良識派」や、関係者ひとりひとりの心の中にある「良心」「善性」「仏性」「善なる魂」に刺激や追い風をもたらすために。

 

社会はすべてつながっている、と私は、考えています。

いまの社会のなかに「歪み」や「不健全」が存在するならば、その責任の一端は
社会の当事者である自分自身にまちがいなくある、そう私は、考えています。
それまでしてきたことの責任。それまでなにもしてこなかった責任。


毎日、自分ができることをひとつづつ積み重ねてやっていきます。
からだがうごき、頭や手足がうごく、いまできることを。