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すずきじゅんじ Junji Suzuki の個人ブログ(はてな、はてブ用)

社会はつながっている(美竹公園の話)

美竹公園の最新情報を知りたい方:

のじれん

https://twitter.com/shibuyanojiren

ねる会議

https://twitter.com/nerukaigi


追記まえの私のブックマークコメント

10月26日朝8:30に美竹公園にいる人たちと渋谷区との話し合いが行われるそうです。 https://twitter.com/shibuyanojiren/status/1584934566531588102 注目が集まれば、行き過ぎの暴力、横暴、理不尽が抑制された話し合いができると思います

 

社会はみんなつながっている:


私は、この話題について、ホームレス状態の人を批判も擁護もしません。

そこにいる人間ひとりづつに話をきいて調べなければ安易なことは言えないという考えです。

ただ、現状について多くの人が知り、注目や監視の目が集まれば、

世間全体から非難されるような「暴力行為」「極端な理不尽」などが発生することを
抑制やけん制できるのではないかと思いました。

なぜ私は、この問題について語るのか?

それは『社会はつながっている』と思うからです。

このエントリーのブックマークコメントをみると、架空の名前、架空のアイコン画像ほど、言葉づかいが乱暴になっているのがわかります。

まじめな社会問題についての意見を、自分が心の底からそう思うなら、
自分の名前、自分の顔で、公にモノを言うのにふさわしい言葉づかいで意見を言ったらいい。

どんなに意見がヒトと異なっていてもそれはかまわない。
それが現実世界、社会での話し合いであり、話し合うことで、協調や調整し、よりよい安定状態をつくっていける。

顔と名前をつけるとなると、その途端、もう一段深く、一歩すすんで丁寧に考えるようになります。

顔を出さないで乱暴な意見を言うことと、この美竹公園の問題も「つながっている」
と私は考えています。

 

箇条書き:

ふだんこういう個別の具体的な話やエピソードをなるべく語らないようにしてますがすこしだけ。


・私は、東京にあるホームレス状態のひとがあつまる場所の大きなところは全部行ったことがあり、自分の目でみて、そこにいる人と話したことがあります。


・もちろんこの美竹公園にも実際に行ったことがあり、いま活動している代表者の方と一対一で話したこともあります。


・正直に言ってこの美竹公園で活動されてる代表の方は、東京のほかの活動団体と比較すると「尖ったところがある」という印象を持ちましたが、それはそれだけ渋谷の状況が厳しく尖っていた故だと思っています。
行政や警察からだけでなく、一般の人からの暴力などもひどかったときいています。

・この美竹公園の話には歴史があります。もっとその前の宮下パークや、新宿浄化作戦の時代からつながっています。


・宮下パークも、以前の状態の時も現在ビルの屋上に移ってからも実際に行って見て自分でたしかめました。

・私自身、ホームレス状態の人を自分の家に泊めたことも、アパートの世話をしたこともあります。
 こういうことは普段なるべく言わないようにしています。(相手があることであり、相手の尊厳に関わることだから。)
 世の中には、寄付行為をするとき記念写真を必ず撮る人よりも多い数、「よかれ」と思うことをしたら黙っている人が大勢いらっしゃいます。

・私は困窮状態のひとのお葬式を自費で自分の手作業で行ったこともあります。

・私はどこの支援団体にも属していません。個人です。宗教団体や政党にも属していません。

・美竹公園のことだけを語りたいわけでないことを気づいてほしいと思っています。

・このままいくと、世の中全体の治安はどうなっていくのか想像してみる。

・社会に「行き過ぎ」があれば ゆりもどしてバランスをとるうごきがでるのが健全で安全ではないか。

・ベビーカーの話やエスカレーターの話、学校で起きていること、職場で起きていること、車の乱暴な運転の話も、みんな、つながっていると思います。


『社会はつながっている』とわたしは思います

社会がつながっていることについて、若い人などにわかってもらえるように、
それがうまく伝わるやり方も工夫したうえで、時間をかけて、
自分なりに、日本のおとなのひとりとして、社会のなかで、これからも個人で活動をしていきたいと考えています。


若い世代の人がなにか考えるときのヒントや栄養になるものがほんのすこしばかりでも届けられたらいいなという思いで記事を書いています。

社会にいるおとなのだれもボクには教えてくれなかった

いちども世の中のことについてアタシに言ってくれるおとながいなかった

若い人たちからそう言われないように、おとなの自分ができることをしていきたいと思っています。

「おもいやり」や「やさしさ」は、だれが、いつ、どうやっておしえたり、つたえていくものなのか。
私自身、ひとつ上の世代の「おとなたち」から受け取ったものがいくつもあります。
つぎの世代にわたす責任の一端が、じぶんにはあると思っています。