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すずきじゅんじ Junji Suzuki の個人ブログ(はてな、はてブ用)

社会についておとながていねいに話をしてあげるたいせつさ【その1】

いま社会にいるおとな(自分を含む)が、自分よりも下の世代や若い人たちにていねいにまじめな話をしてあげなかったり、物事をおしえてあげてこなかった責任を、最近とみに感じていました。

だから、「まじめな話題」「いのちに関わるテーマ」について「おとなである自分が言ったり書いたりしておく必要がある」と感じたこと(100文字制限のブックマークコメントで書ききれないこと)をもうすこし書き足してみることにしました。


・この記事は「はてなブックマーク」のこのエントリーについて書いています
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220619/k10013678321000.html

・自分(私)が書き込んだブックマークコメント(最初に書き込んだ内容 6/20 午前中 時点)

「たすけて!」の声がきこえれば、人は人を助けることができます。町の中で耳栓イヤホンをしない。スマホを見ながら歩かない。特に現役成人男性。「強い者が弱い者を守る」。歩行中も車でも「強いほうがよけるゆずる

 

<付け加えて話しておきたいと思ったこと>

◆ひとをたすける方法は一つでなく、何通りもある

たとえば誰かが用水路に落ちて流された時、「たすける」方法はいくつも考えられます。

自分がそのときできることは
「立っている場所」
「持っている物(電話を持っているか、乗物を持っているか)」
「健康や体力状態」
「服装・装備」
「状況(子供連れであるなど)」
によっても変わります。
そして
「対処方法の知識や選択肢、発想、経験をを持っているか」
も重要です。
「状況判断」ももちろん重要です。

まわりに発見者が多ければ同時にいくつもの手段をすすめられます。

・まずおぼれた人のかわりに大きな声で「人がおぼれてる!」「たすけて!」と叫んでまわりにさらに助ける人の輪をひろげる。
声をだすのが苦手なら大きな音を鳴らしてもいいし、防犯ブザーを鳴らしてもいい。

スマホ電話などでまず119番しておく。海上なら118番。

・電話をもっていなくても通行人や車をとめて事情を話して協力してもらうこともできます

・たすける人が複数いれば、民家へ電話を借りに行く人と、直接救助と別働することができます

・大きな声で川下のひとに準備して待ち構えてもらうこともできます

・まわりにある長い木の枝や竿やロープをさがして、もってきてもらうこともできます

・あちこちから「浮力体」やかわりになるものをさがして投げ入れることもできる

・おとなが複数人いれば「手つなぎ救助」もできる

・救助しやすい場所をすばやく判断。川幅がせまければ流れが急でも手やモノが届きやすい場合もある。逆に川幅がひろくて距離があるが流れがゆるやかで助けやすい場所もある。

・救助者は水中にはいることなく、陸上を走って移動することができます


・なぜこういうことを書いているのか。それはその場ですぐには思いつかなかったり、
うごくまで、やるべきことに気がつくまでに時間がかかったり、パニックになったりするからです。
(ここまで書いたことは、なにか本を見たわけでも今ネット検索したわけでもありません。
ぜんぶ瞬時に私の頭の中からでてきた選択肢です。
それは私が毎日そういう活動をしているからです。)


◆「性役割分担」や「性差」でなく、「得意、不得意」「むき、ふむき」で担当や活躍の場を。

・おぼれた人を救助するとき、場合によっては、被救助者をどなりつけたり、力づくでひきはがしたり、殴ったりする必要もあります。


・「男だから」とか「女だから」ではなく、「(そのとき)強い者がよわいものを守る」という基本的なかんがえかたが良いのではないか。

その「強い者」は多くの場合は成人男性だと思います。(実際に町の中を歩いていて自分の目でみてそう思います。)


もちろん、成人男性であっても、病気のときもあるし、ケガをしているときもあります。

男であっても、赤ちゃんのときはおとなの人にめんどうをみてもらって、たすけてもらいます。

高齢者になって身体のあちこちの力がなくなってきたり動かなくなってくれば、これもだれかにたすけてもらうことになります。

もちろん女性や高齢者にも、体格が大きかったり、体力が強い人もいます。

 

だから、「社会」がたいせつ (たすけあう、おぎないあう、できるひとができるときに、お互いさま、がたいせつ)であって、「社会」のなかで語り合ったり、調整やバランスをとっていくのがだいじなんだと、私は思います。

さらにいうと、だいじだからこそ、そこに不純なモノ、「お金をもらって語る言葉を変えたり、その場の社会にいない遠くのよくわからない存在からの思惑にむやみに影響されない」ということがだいじなのだと思います。

意見が人それぞれちがうのは だいじなこと。だから、純粋な各自の意見で、全体の総和・バランスをつくって社会をつくっていく。

 

「得意、不得意」「むき、ふむき」で分担するのが、おおむね良いのではないかな、
というのが私の考えです。


いま時間がないのでとりあえず以上。
(あとで書き直すかもしれません。2022/6/20 13:00)

2022/7/6追記【関連ニュース】
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